« mtrlzng III » | 渡邉朋也

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(撮影:来田猛)

『なべたんの極力直そう[初夏の特別編]ほか』

すでに失われて久しい完全な宇宙を取り戻すべく、身の回りの欠損を可能な範囲で補填するプロジェクト。2014年4月に最初の取り組みとして、山口県山口市仁保地域のガードレールを主にノギスと3Dプリンターを用いて補填。
本展では「初夏の特別編」として自宅の食卓に生じた欠損を新たに補填した。

協力:FabLab Yamaguchi β


 

[essay: 情報と物質とそのあいだ]

「もう、どっちでもいいよ」

 このテキストもすでにそうなのだが、最近は「もう、どっちでもいいよ」という状況に興味があるように思う。

 完全に同一ではない、つまり相互によく似たものが複数あって、それらが共になにか同一の目的に供することができる場合、こうしたことをよく口にしてしまう。その背景にあるのは、対象への興味の欠乏である。もう少し客観的に言えば、情報伝達プロセスの失調―たとえば、ものの持つ記号がそもそもその機能を喪失しまっていたり、受け手がものを正常に知覚できていない、知覚できていたとしても知識や経験の少なさから認知に至らない、など―ということになるだろうか。

 昨年、「マテリアライジング展Ⅱ」に参加した際に今回同様のエッセイにおいて、情報と物質は互いに不可分であり、もし両者の「あいだ」をつくることができるとしたら、それは自分自身であるという主旨のことを書いた。今でもその思いは変わらないのだが、自分が「もう、どっちでもいいよ」と思った時、不可分なそれらが分離まではしないにせよ、ずれていくような感覚がある。情報がほとんど生起しない物質、固有の物質に依存しない情報、そうしたものが同時に発生しようとするような。

 どっちでもよく無さそうなのに(全然似てないのに)「もう、どっちでもいいよ」と思わせるとか、まったく同一にしか見えないものに微細な差異を見出したりすることで無理矢理「もう、どっちでもいいよ」と思わせるとか、酒を飲むとか。そういうことに興味がある。そのいずれにおいてもコンピューターやデジタル・ファブリケーション機器が有効に使えると思うので、いろいろと試してみたい。

 



◉[III]出展者プロフィール

渡邉朋也
メディア・アート、ネット・アート、映像、ダジャレなど、さまざまな形態で作品を発表している他、谷口暁彦とともに、新宿・思い出横丁で発見 されたメディアアートにまつわるエフェメラルでアンフォルメルなコ ミュニティ、思い出横丁情報科学芸術アカデミーの一員としても活動。近年参加した展覧会に「光るグラフィック」(2014/東京・クリエイションギャラリーG8)、「Affekte」(2014/エアランゲン・Kunstpalais Erlangen)など。
http://watanabetomoya.com/


 

◉主な作品

III_watanabe[なべたんの極力直そう]

すでに失われて久しい完全な宇宙を取り戻すべく、身の回りの欠損を可能な範囲で補填するプロジェクト。DMM.makeで大好評連載中。
https://media.dmm-make.com/maker/233/