« mtrlzng III » | 松井茂 +仲井朋子

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(撮影:来田猛)

『音声詩「時の声」(ピアノ・スコア版)』

 本作は、音声詩「時の声」の録音版(朗読、さかいれいしう)のスペクトル解析に基
づいて、仲井がピアノのために変換したスコア版である。音声詩「時の声」は、録音・
再生・中継・複製・変換・編集に関する技術と現象を主題として編まれたテキストで、
具体的には以下の過程を経ている。
(1)松井がICレコーダーで録音した具体音を素材に、QuickTimeで編集した「具体詩」
を制作。
(2)さかいが「具体詩」をイヤフォンで聴取しながらオノマトペ(擬音語、擬態語、擬
情語)化し、森永泰弘がマイクロフォンで録音、編集した録音版「音声詩」を制作。
(3)武石藍が録音版「音声詩」を仮名原稿化し、松井が編集した音声詩「時の声」(テ
キスト版)を制作。
 つまり音声詩は、ミュージック・コンクレートの方法論を踏襲した具体から抽象へ
という、コンクリート・ポエムの試みであり、テクノロジーによって声を亡滅したテ
キストであった。これに対して本作は、マテリアライジングという語に倣い、その亡
滅の声を、近代のディシプリン(規律訓練)の象徴であるピアノによって召還する。


 

[essay: 情報と物質とそのあいだ]

 2011年に@KCUAで開催された「共創のかたち デジタルファブリケーション時代の創造力」展のカタログに、私は「anything goes(何でもあり)からalmost anything(ほぼあらゆるもの)へ」と題したテキストを寄稿している。同展の準備期間が311の直後だったこともあり、私たちの生活をとりまくメディア技術を、芸術の観点からどのように批判することができるのかを模索していた。テキストでは、日本の工学が芸術作品の設計のあり方を抽象化することを通じて、工学におけるポスト・マスプロダクションの設計理論を提示したことを紹介し、その実践として、デジタルファブリケーションをいま一度芸術にフィードバックすることで、メディア技術へのメタ的な批判理論を提案できないのかという、いささかヒステリックなことを書いた。あれから4年が経ち、こうした動きはどこへ行ったのか? メディア技術は浸透し、インフラストラクチャーとして消えていく。こうした普及と共に展開すると思われた思潮は、「ポスト・マスプロダクション」というブランドになってしまったらしい。
 私自身は、こうした主旨でメディア技術や芸術をめぐる批評をいくつかのテキストで発表し、話してきたのだが、その挙げ句の果てに、今回、出品者となってしまったようだ。詩人としては、3Dプリンターでも活用して、これまでに制作してきた詩のデータを、コンクリート・ポエムとして出力してみよう! というほどノーテンキな気分にもなれず、メディア技術を主題としてきた音声詩(2010年の作品)に立ち返るしかなかった。メディア技術による変換を通して、音の痕跡(インデックス)としてテキスト化された音声詩を、いま一度「マテリアリズ」したのが本作である。マテリアライズという多義的な語の持つ、「〈霊が〉肉体の形をとって現われる」という意味に偏向して制作した結果なのだが、この作品が、前述したテキストなどに正確に対応しているとは思わないが、物質と情報とそのあいだにあるべき「かたち」として作曲された、批評として解読してほしい。

 



◉[III]出展者プロフィール

詩人・松井茂と、音楽家・仲井朋子による作品は、これまでに「青森EARTH2014」(青森県立美術館、2014年12月2日〜2015年3月22日)での展示がある。

http://www008.upp.so-net.ne.jp/methodpoem/


 

◉主な作品

III_matsui[時の声(ライブ・エレクトロニクス版)]
音声詩「時の声」を基にしたライブ・エレクトロニクスによるサウンド・インスタレーション。